入るものは入らず、出るものは出て行く。
そんな日々はまだまだ続くので
今日は\(・_\)ソノハナシハ (/_・)/オイトイテ

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いま24時間テレビやっていますねー
夏の最期の恒例というかなんと言うか・・・

子供の頃はこの24時間テレビが終わると
次の日当たりから新学期だった。
うちの田舎はちょっと早め。

24時間テレビの募金したことありますか?
始まった時だけやっていました。
でもその後は極度の金欠状態が続いて、浮かび上がることがほとんどなく今にいたり、募金は「してもらいたい」立場なので出来ていませーん。

ということで、何年か前国際協力事業団へ行って、そこにお勤めになっている方と触れ合った時の事を少し。

私は「慈善」という言葉に疑問を持っていた。
とても上っ面で、嘘っぽく思えたのだ。
慈善=偽善
そんなふうにしか見られなかった自分の心は、ものずごく荒んでいたのかもしれない。

その方が言う世界中の苦しい人々の話はそれはそれはリアルだったのだが、その人が目に涙を浮かべながら語る姿に<偽善>を感じてしまったものだ。
でも何回もその方に会い、話を聞くに及び、こういう人間が世の中にもいるんだと・・・そんなふうに本当に心の底から<慈しみ>を持つ人がいるのだということを感じ始めた。

私はその短い人生の中で<慈しみ>という言葉とは正反対の生活しか送ったことがなかった。
だからそういう感情で人のために行動を起こせる人間が信用できなかったのだ。

でも、私のように全く人間を信じることの出来ない人間にもなんとなくわかる。
もしかしたら私の知らない<愛と慈しみ>の世界があるらしいということ・・・
無償の愛というものが存在するらしいということ。

私は自分が「何処か欠陥のある人間」だということに、改めて気づかされた思いがしたのだった。

旦那には結婚当初言われたことだった。
「お前は愛情をかけられずに育ちすぎて、愛情が何なのか分らない、○たわ者なんだよ」

確かに私と旦那は大きく違う。
全ての前程に「信頼と愛」がある旦那に比べて自分は・・・

こんな自分がイヤでイヤで・・・気づいてしまった時のショックは言葉に表すことができない。
自分の醜さに恥ずかしくて、悲しくて、いたたまれなかった。
これはけして治しようが無いのか・・・
いや・・・いつか頭から人を信用できる日が来るのかもしれない。

いやきっと来るに違いないと思うしかない。
そうでないと悲しすぎるから。

あの人のように、うちの旦那のように・・・私も純粋に<心>のある健全な人間になりたい。

最近は人の心の判らない人間が多くなりすぎているようだ。
私はそれに気づいたからよかったけれど、健全な人間からの「愛」を受けられなかった者が、今のような悲しい行動を起こしてしまうのも、私にはとても納得できるし、当然だとも思うのだ。

今助け合うなら・・・世界に本当の意味での平和を目指すならお金も大事だが、この世界の国々の荒んだ心に、本当の愛情ある触れ合いを送るべきだと思う。

「愛」を信じられない人間へ、本当の意味での「愛」を信じさせるべきなのだと、一年に1回しかやらない、そのときだけやっていれば満足する国民性に警告したいものだ・・・本当の「愛」をくださいと・・・

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(´ヘ`;) う〜ん・・・
たまにはまじ・・・

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