やっぱ大宮でしょ

2003年2月15日
今日の営業は旧大宮です。
 今は旧浦和に住んでいるんだけれど、その昔(って15年位前)まで、旧大宮に住んでいた私たち、とてもなじみがあって、懐かしい土地…。大宮に住もうと思って山から下りてきたのに何で浦和なんぞにいるんだ?狭いし、アップダウンは多いし、窪地には30年前まで沼の水がまだあって、今だってじめじめしている。東京駅に地下に「太田窪」ってうなぎやさんがあるけど、それって、この辺が沼でいっぱいで、うなぎがいくらでも取れたからに違いない。確かにうなぎやさんは多い。それにうちの近くには水の調水池がいくつもある。雨が長く続くと怖そうだ。・・・
 そう思ってしまうのはやはり、八ヶ岳の上にいたせいだろうか…。水位が低い土地に怖さを感じる。地面が砂の性質だけだと不安を感じる。
 数年前だが、東京に勤めに言っているとき、東京生まれ、東京育ちの同い年の女性が職場にいた。その女性の言動に違和感が時々あった。たとえば、会社に田舎の会社から来客がありその客が社交辞令で、「さくらの花ももうすぐですね」と言った。するとその女性は「何で仕事に来ているのに、花とか木なんて関係ないじゃない。おかしな人」と…。
 そのころ自分も営業でよその会社に行くとき、よくそういう季節の挨拶をしていたものだったので、「ええぇーいけないの?」と、そして自分の田舎じみたところへの恥ずかしさが生まれたものだ。
 その人は埋め立ての土地の高層住宅に住んでいた。それが悪いわけじゃないんだけど。岩盤でできた八ヶ岳のように1000mぐらいのところに住んでいた私にはそっちのほうが「何で?」って感じだった。人は慣れるとそれが一番正しいものと錯覚するのかもしれない。何が正しいなんて決められてはいないのに…。当たり前は人の総意だし。できれば私は標高の高いほうがいいなぁ住むなら。
あとは川の痕跡がないところとか。遠い昔は日本は海だったかもしれないけど。その後、大きな川底じゃなかったところがいい。
   でも関東平野はほとんどだめだね。

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